四季の美味紀行
醤油のふるさと 龍野
文・写真/萩原 健次郎
 関西の食と味覚文化を支えた淡口醤油のふるさと、兵庫県龍野(たつの)市は、揖保川(いぼがわ)の右岸、鶏籠山(とりかごやま)の南麓に小京都の風情を今に伝えて美しくたたずんでいます。淡く澄んだその色合いとほのかな香りを感じて、ノスタルジックな散策を楽しみました。

 “住む”の語源は、澄むに通じるという。清流の川面に落葉が浮かんでいて、一瞬水が美しく澄んだときに、葉が川底にすっと落ちて居場所を定める。
 そんな様に由来する。
 龍野は、澄んだ町である。
 雑踏も、喧噪も、それから派手な町の意匠もない。播磨の小京都と称されるだけあって、遠い時間のままに街並みが静止している。空があり、家があり路があり、城があり、寺社があり、煙突があり学校の校庭が光り、人々は、静かに語り合っている。
 町の端から端まで歩いても小一時間もかからぬ小さな町。そこに、この日本を懐かしむすべてが、すっと落ち、着いている。ここに、住みたいと思った。
 美しい街並みにもまして、龍野の名を全国に知らしめている名産が、醤油である。
 龍野醤油がこの地で始まったのは、天正十五(一五八七)年というから、もう四百年にもなる。主に江戸で定着した濃口醤油に対してこちらは、淡口醤油で名高い。醤油には、このほかに溜り醤油や白醤油などがあるが、淡口醤油こそが京・大阪の食文化を根底で支えた基本調味料であった。みりんやかつおだしにもよくなじみ、山菜、野菜、魚介類などの自然な持味をそこなうことなく、絶妙の塩梅をかもしだす。天下の商業地、大阪の商人たちや舌のこえた都人の味覚に応えるために醤油にもまた最高のものが求められたのだろう。
 龍野が名醸地になったのにはいくつかの条件がある。播磨平野の良質な小麦が豊かな香りを生み、周辺の山間部の大豆は、特有の味を育んだ。
 また、醤油づくりに欠かせない塩も名産地の赤穂が近隣にひかえている。そしてなによりも重要なのが、水であった。
 龍野を流れる揖保川の水は、全国でもまれにみる鉄分の少ない軟水。この水質が淡口醤油には最適であるという。
 町を歩いていて目についたのが、掘割のような小さな川と各家にしつらえられた井戸。龍野のもうひとつの名産である「揖保の糸」で知られるそうめんもまた、この水によって磨かれた。
 誰もが口ずさむことのできる童謡「赤とんぼ」で有名な詩人三木露風が生まれた地でもある龍野。町を去る時に渡った揖保川にかかる橋上からは、澄んだ水と澄んだ青空の彼方に、あの懐かしい旋律が静かに流れてきた。

今も清らかに流れる揖保川。
静かなたたずまいの小京都にふさわしい風情をたたえている。

萩原健次郎(はぎわら けんじろう)
1952年大阪生まれ。詩人。詩集に「絵桜」「求愛」などがある。共著に「私を泣かせた一本の映画」、ビデオ脚本として「ジス・イズ狂言」がある。
現在、詩の月刊誌、新聞、京都市の広報誌等に、詩・エッセイ・写真などを連載中。日本現代詩人会会員。

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