おいしい笑顔で、よいおトシ。
文/萩原健次郎 撮影/宮野正喜
 大晦日からお正月までは、たった一日。さらに言えば、テレビのカウントダウンを見ていれば、それがほんの数秒の瞬間であることがわかります。この当たり前のことが、幼い頃はなんだか不思議に思ったことがあります。一夜開ければ、真新しい新年の扉がひらかれている。
 祝い箸が添えられて、膳には色とりどりのご馳走がならぶ。こころが晴れ晴れと澄んで、きれいに洗われたような気持ちになります。

めでたさ招く、
祝いの膳。

 「正」という言葉は、年の「初め」という意味や「改める」「改まった」というような意味が託されています。古代から、私たちは新しい年が訪れるということを知っていたようです。その年の初めに、こころをまっさらにし新鮮な心身で迎えようとするのはごく自然なことのように思われます。初日の出を拝んだり、初詣に出かけたり、夢を占ったり、また口にするひとつひとつの恵みにおめでたい意味を託すのも、幸先(さいさき)のいい吉祥を呼びもとめてのことなのでしょう。歳時記を繰りますと「初」のつく言葉が百以上もあることもうなずけます。
 もともと私たちの国では、新年の守護神のことを「正月さま」と呼んでいました。「トシの神」ともいい、ひととせの豊作を祈りました。注連縄(しめなわ)も、門松もみな、トシの神さまが宿る場所である依代(よりしろ)を示したものなのです「神さま、こちらですよ」とわが家の玄関に据えるのです。

 ところでこんなことを考えてみました。家にトシの神さまを導く目印がお正月飾りだとしたら、人に幸をもたらす、ひととせの神さまの好まれる目印はなんなのだろうかと。きっとそれは、家族みんなの、こぼれるような幸福な笑顔に違いないと。
 一月の異称である「睦月(むつき)」という言葉は、人がみな朗らかに「睦び合う(仲良くする)月」という意味がこめられているといいます。
 お雑煮も、おせちも、それからいっそうおいしい新春の一献もまた、このとっておきの笑顔に供される恵みなのかもしれません。なにはさておき、楽しく愉快に、そしておいしく。新しい年をトシの神さまといっしょに過ごしていきたいと願ってやみません。

京・八坂神社、大晦日のをけら詣。
火縄は回して帰り、新春の雑煮を煮るための火種となる。

萩原健次郎(はぎわら けんじろう)
1952年大阪生まれ。詩人。詩集に「絵桜」「求愛」などがある。共著に「私を泣かせた一本の映画」、ビデオ脚本として「ジス・イズ狂言」がある。
現在、詩の月刊誌、新聞、京都市の広報誌等に、詩・エッセイ・写真などを連載中。日本現代詩人会会員。

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