山のキノコ

文/椎根 和 絵/三好貴子
 公博は五年前に、東北の飯豊山系の深い山にキノコ狩りに行った。その体験は一生忘れないだろう。
 残雪が消えたばかりの45度ほどの山の北側急斜面には悠久の時の重みが湿気とまざり合って、朽ちかけた何千本の倒木が人の歩みを阻止している。野生のキノコを獲ることは足場の悪い所でハードル競技をするようなものだ。おだやかな農村に育った公博には、それは想像を絶する重労働であり、猪や熊を追う狩猟民族の激しい日常作業を思わせるものであった。
 見栄えのする美しい姿のキノコはだいたい毒キノコだよ、と案内役の名人に教えられ、三時間を越える苦行のすえ、背負いカゴに溢れるほどのキノコを公博は獲った。マツタケはこういう低温高湿と獣の匂いが残ったキノコ楽園には生育しないことも識った。
 山を下りた公博の容貌は激しい作業のためにげっそりとやつれたようであった。麓で待っていた婚約者の京子は、キノコ狩りの人たちのなかに公博の顔をすぐには発見できなかった。
 京子はキノコの饗宴のためにわざわざアンティックの銀食器類を持ち込んでいた。ソティやオムレツなどさまざまなキノコ料理が、童話の故郷である英国生まれの銀皿の上に並べられた。
 山のキノコの味をどう表現したらいいのだろう。野菜でも魚・肉の味でもない。その三種のエッセンスをまぜ合わせたような味を秘めている。ワインを飲みながら「俺があのような苦しみにいる時、京子はそれでも一緒にいてくれるだろうか…」とふと考えた。山のキノコの力が公博に二人の遠い未来の生活を妄想させたのかもしれなかった。
 今宵の食卓は、あの日の銀食器にキノコ料理だ。が、山のキノコの力強さはない。
椎根 和(しいねやまと)

編集者。平凡出版時代を含めマガジンハウスに二十二年在社。平凡パンチ、ブルータスなどを経て、「Hanako」創刊編集長となり、社会的な“ハナコ現象”を生み出した大ヒット雑誌を誕生させ、数々の食のブーム(ティラミス、ナタデココなど)を巻き起こした。現在フリー。


Copyright (C) 2001 AHJIKAN CO., LTD.